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大槌稲荷神社慰霊祭

2012年03月15日 23:47

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島田市民ならびに焼津藤枝川根など、県民500人以上のご参加を頂き
手作りの慰霊ロウソクを先日大槌稲荷神社に奉納致しました。

慰霊の様子をお伝えします。



家の基礎を残しただけの大槌町安渡地区。
灰色の世界に、ぽつんと赤い神社の鳥居。目にまぶしい。
地区にそびえる鳥居から岡の上の階段を結んだ火の道は、
拝殿、そして鎮座された導きの神さるたひこにつづいている。


2012年3月11日午後15時30分。

去年の津波襲来時刻に合わせて神楽の奉納演奏を神主その他神職の方によりおこなわれた。
「神様に連れてってもらおうね」と力なくつぶやく神主。
そこかしこで慰霊がおこなわれており、地区にはガレキ撤去の自衛隊以来
久しぶりの人の気配、花束を抱えた町民で溢れていた。
この日二度目のサイレンと共に黙祷が捧げられた。

500の御霊を灯した夕刻、朝から降っていた雪と風はやみ
代わりに星空が顔をのぞかせた。
去年の同じ時刻、大槌はまだ水の中だったと聞く。
津波が明け方まで何度も何度も押しよせて、市街地は湾と化し、
その湾はガソリンスタンド爆発による火の海だった。
そう涙ながらに語っていた4月の大槌稲荷神社の神主さんを思い出す。

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一年を機に3月8日、大槌町が震災後初めて発表した町民犠牲者リスト。
大槌町民が安否確認のためあれだけ欲しがっていたリストには
犠牲になられた方の名前と年齢が無情に列挙され
神社に寄せていた20代のカップルは同級生数名の死をそこではじめて知ることになる。
泣き言も言わず、ただ黙って数ページに及ぶリストを見つめ続けていた。

この日一周年に合わせて神社に身を寄せた仮設暮らしのお年寄りはリストをみて具合が悪くなった。
以前お茶だしでお会いしたときは豪快なばあちゃんだった。
100人からの大所帯でばあちゃんは料理係。
砂糖の袋をやぶりさかさまに全部、醤油を注入するときなどそっぽをむいたままどばどば
瓶まで煮込んでしまわないか心配で、避難所でばあちゃんのあだ名は豪快ばあちゃん。
ムードメーカーだった。

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3月10日。

みんないらいらしていた。
地元の人も、神社の人も。
多くの被災者の方が職を失い、区切りの一年を迎えるにしても
どうにも区切りがついていない。そんな状態の方と大勢お会いした。
パチンコ屋のみ繁盛する市街地。減るのみの貯蓄。
被災地に求められるものはもちろん雇用ではあるが
仮に仕事があったとしても働く気になれない方が大勢いる。
もう一年経ったのだからそろそろ切り替えることが必要だなんて
言えるわけもなく勿論思ってもおらず、むしろ一年経ち
一周年が過ぎてしばらくして、県外の人が被災地を一時離れるあたりが
自分との勝負の始まりになるだろう。

私たちが被災者になってはじめて知るであろう感情は
一年経ったいまもボランティアの私にはほとんど理解できていない。
月1回程度の現地入りで寄り添った支援なんて都合よすぎるが
実質もとめられているものは人との繋がり。
これに尽きるのだけど、岩手は雪深く
今回はじめて東北県以外のボランティアと会うことはなかった。

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月~8月静岡茶の基地にさせていただいた避難所で
大変お世話になったおじさんを雪に覆われた市街地でみつけた。

避難所閉鎖以来だったから嬉しかったし心配だった。
あのときの青山さんのお茶、うめがったっす。本当に忘れらんねえす。
と言ってくれた。私は沈黙を保ったまま小さな笑顔で答えて目を落とすしかなかった。
私からの発言はまったくもって適当でない事柄の話がつづく。
話の内容は相槌さえ適当でない場面が多々ある。
聞き手にまわることは避難所のなかで被災者と関わる上で一番重要視していたことだが
おじさんの話を聞いて一年経っても同じ状況だと今さら気づいたのだった。
話を聞かせて貰うことのみに集中するわけだが、
心を寄せて話を聞くことでこちらの精神状態が不安定になるのをおじさんは知っているから、
避難所の生活を毎日思い出して寂しさに明け暮れ
津波の夢をみては毎晩飛び起きる睡眠不足の日々を送っているのだと無理な笑顔で語ってくれた。
表面上は削り取られたが一方で人の心は震災直後となにも変わってない。

こんなこともあろうかとポケットに忍ばせておいた
皆さん手製の蜜ろうそくをプレゼントすると、おじさんは本物の笑顔を浮かべた。
おじさんと再会した場所は市街中心部、おじさんの家があった付近で
いまは自然に還れない荒れ果てた土地。
同乗していた友達が再会記念に写真を撮ってあげると言ってくれた。
背景はおじさんの家があったところ。
もし、ここはまずいと私が言ったなら、おじさんの心はもっと大変になるだろう。
素直にカメラに収まった。おじさんは缶コーヒーを二本買ってくれた。
間違って冷たい缶コーヒーを買ってしまったと笑顔。
この日の最高気温2度。ここぞとばかりに私は笑った。
笑えるところはしっかり笑う。
笑える場面は絶対逃してはならない。
私ごとき信念と被災者の精神は震災直後より役場の時計のように止まったまま。
被災地入りは精神修養の一環なんて思いもしなかったが、
県外から入るボランティアの立場上そのつもりで居るべきだとも思った。
なぜなら我慢の連続だから。
この我慢も心苦しさも被災者の方に比べたら、私は幸せだ。
家族友達ともに元気で、熟睡できる家がある。
私は幸せだから、どんな形でも幸せを分けさせてもらう義務を感じずにはいられない。
なにができるかわからないが、いつでも被災地のことを考えていたいし
それがせめてもの私を育ててくれた人たちへの恩返しに繋がると思っている。
そして私とは正反対に、ずっと笑顔でいられるボランティアもまた、
震災から一年経ったいまだからこそ、被災地に必要になってきたと感じる。
今回同行したマッサージ師に体をほぐされ、笑いの友達に素直に笑わされた方もいて
枠にこだわらずなんでもできるのだと思った。



ろうそくの火を灯して1時間後のこと
仮設住宅から鍋ごと料理をもってきた被災者の方が神社に到着した。
ろうそくをみつめるおばさんの背中を素通りしようとすると「ありがとう。救われた」と言われた。
おばさんはここ一ヶ月もの長い期間を、一触即発の状態で過ごしていたそうだ。
理由などない。おばさんは蜜ろうそくを直に手に取り、触っていたらなんだかとても落ち着いたと言った。
本当に救われたと何度も何度も言われた。
夕5時から本格的に灯したろうそくは10時に燃え尽きるまで幾人もの町民を出迎えてくれた。
亡者も頑張る人も差別なく、優しい光が魂に伝わった気がする。
夜半には光明につられて拝殿に登ってくる大槌町民の姿もみられた。
みな無言で蜜ろうそくをみつめている。私もあえて声をかけず挨拶もしなかった。
私たちは主役に成ってはならず脇役でもない。
透明に近い存在でいながら、しっかり心を伝え、つなげたい。
拝殿まできて頂いた町民の方を無言のまま安渡地区の鳥居まで見送る。
昼まで降っていた雪の影響で石の階段は滑りやすくなっていたから、それだけは伝えさせてもらった。


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神懸かっていた。
大槌は冬になると山からの吹き降ろしが強烈な土地で
一周年慰霊当日も風がびゅうびゅう吹いていたのに
ロウソクを灯し始めた17時15分、ぴたりと風はやみ
ロウソクが燃え尽きるころふたたび雪が降りはじめた。
そして最後のロウソクが燃え尽きたと同じころ野球ボールほどの牡丹雪となった。
大槌に50年住んでいる神社の神主でさえ、こんな雪はみたことがないと言った。
私もあれほど大きな雪を見たのは初めてだ。
なにか素晴らしい場面に立ち会えた気がした。


今回同乗した4名のうち22日うまれが2人。ロウソクの重さは22gである。

人は亡くなると21g軽くなるそうだ。
プラス1gの優しさを届けたいとはじまったロウソクづくりは寺でも行われた。
釈迦を祭ってある寺である。釈迦が生まれた紀元前566年と2012年を足すと2578になる。
この数字をひとつずつ足していくと22gになる。
それを運ぶ私は4月8日生まれ。
運命と奇跡はそれを信じたものに強烈なインパクトをもたらす。
釈迦の遊び心に共感を覚えた瞬間だった。




深夜2時になっても神社の大広間には仮設に帰りたがらない町民が数名残っていた。
去年の同じ時刻、横になれないほど人で溢れていた神社の大広間に
今年は夜食のラーメンが人数分運ばれてきた。
去年と同じなのはそこにいる全員が寝付けないことだろうか。
みんななにかモノ惜しげな様子で朝4時になっても寝ようとしない。
その日その時刻、この場所になにか強い思い入れがあるように感じた。


一年経ち、思うことは、被災地はなにも進展していないということ。
しかし今日15月11日の希望は、人類誕生から灯され続けている光に少なからず被災者の方が救われたこと
犠牲になられた方の御霊がお導きを受ける機会を得られたこと。
そして被災していない我々市民が幸せを分け与えられたこと。
ココロを伝えられたことだろう。
搾取の時代は終焉を向かえ、モノもココロもプレゼントできる時代に入りました。

神主さんから去年5月に頂いたメッセージ。
国民のみなさん、どうか一度でいいから被災地に足を運んでください。
支援なんて考えなくていいからガレキのうえに立って海を眺めてください。
そこには日本の現実があります。
私からももし行かれることがあったら是非、現地の人と友達になってください。
福島も宮城も今心に大変な人たちが大勢います。
どこにでも優しさの需要はあります。勇気を出して連絡交換してください。
どの地域にも仮設住宅街には時々仮設集会所が設けられています。
福島南相馬も宮城気仙沼もどこもまだ大変です。



最後になりましたが、慰霊ろうそくにご尽力されているみなさまに御礼申し上げますとともに、東日本大震災により犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈り、お悔やみ申し上げます。合唱。

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